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◆ 女湯の思い出 投稿者:有仁  引用する 
ふと思い出したんですが、小学校3年生ぐらいの時は母に連れられて女湯に入っていました。信じられないけど同級生の女子も入ってきて一緒に入浴しました。その年齢だから恥ずかしいなんて気持ちはまったくありませんでした。女子の裸に関心を持つようになったのは何歳ぐらいだったかな?

子どもだから前を隠すなんてことはせず、風呂場の中をチンチンをぶらぶらさせて歩いていました(ぶらぶらさせられるほど大きくなかったけど<笑>、今も<泣>)。

小学校の高学年のときに女子の同級生が「小さいとき、男の子のチンチンがうらやましかった」と言っていました。男の子には全員ついているものが自分にはついていないなんて「欠陥品」だと思うのでしょう。
一方で私もそうでしたが男の子にとってチンチンは知恵と勇気と力の象徴で、それのついていない女子に対して優越感をもっていました。チンチンのついている自分たち男子は優れた存在で、ついていない女子は下等な存在だと。
心理学でもこのような女性の気持ちは「欠損感」といって男性に対するコンプレックスの出てくる大元として解釈されるようです。

そういえば女性同性愛者の男役は男性器に対してものすごいコンプレックスと憧れを抱いていると聞いたことがあります。
『白薔薇園』の少年ヌード、そういう需要もあったのかな。

女湯で、チンチンのついていない下等生物(=女)たちの間を、自慢のチンチンを見せびらかしながら歩いていた少年時代の私。自覚があれば快感だったでしょうね。
ひょっとして一緒に入浴した女の子、私のチンチンを憧れの目でみつめていたりして。いや、風呂場中の女性が私のチンチンを見てため息をもらしていたのではないかな。「たくましい〜」「うらやましい〜」「私もほしい〜」「美しい〜」なんてね。子どものチンチンって無毛でつるつるできれいですよね。

母は私の髪の毛を洗うために、私をあお向けにして寝かせて頭の下に洗面器を置いて洗ってくれました。そうするとチンチンが見放題になるので、母は私のチンチンをタオルで隠しました。「どうしてそうするの?」と母にきくと「いやらしいから」と答えましたが当時はその意味がわかりませんでした。

自慢のワレメを堂々とさらしている清岡ファミリーの天使たちはどんな気持ちなんでしょうね。その奥に生命を生み出す神秘の宮殿があるわけですから、私たち男の子がチンチンを男性の象徴として誇るように女性の象徴として誇りにしているのでしょうか。
2009/06/08(Mon) 13:16:58 [ No.843 ]
◇ Re: 女湯の思い出 投稿者:月蛇ん!  引用する 
銭湯ネタならオイラも負けませんよwww
つか、オイラは小学5年のときまで女湯に入っていましたから♪(オイ
それに小6のときまで、ひとつ年上の、後に授乳シーンを見ることになる従姉妹と一緒に風呂に入ってましたw

まあでも、女湯に入ってた頃はまったく女性の裸に興味がなくて、
銭湯の中を駆け回ってた以外、そこにいたはずの裸の女性群のことはまったく覚えていません。
つか、眼中になかった!(笑

なんてもったいないことをしてたんだ、オレは!!!

ただ、銭湯で女子の同級生と一緒になったことは一度もなかったですね。
もしも鉢合わせしていたら、さすがに意識したと思う・・・・・・・

だけど小6のときは、さすがにセックスのことを知っていたので、
従姉妹の股間を、「チンチン入れる穴があるはずなのに、なんで“線”しかないんだ???」
とか思いながら見てましたwww

この話は前にも『まゆ伝』で書かせてもらったことがあるけど、
相手の子はこのときすでに中学生になってたんだよなあ・・・・・・・・
よく一緒に入ってくれたもんだ!(笑

ちなみになかなかの美少女でした♪

小学3年の頃はというと、家の裏口にタライかなにかを置いて、
そこで誰はばかることなく近所の女の子と一緒に行水してましたね♪

その頃はセックスの知識なんざカケラもないので、
「女の子だからチンチンないのはわかるけど、なんで“線”がついてんだろ???」
なんてことを考えてました(笑

嗚呼、恵まれし我が幼年期!

もっともオイラには年下の従姉妹も多かったので、
20歳になるまでは見放題だったんですけどね♪

惜しむらくは、当時のオイラはロリっ気がほとんどなかったので、
目の前を従姉妹たちが裸で駆け回っていても、まったく意に介さなかったってことですか?

中にはアイドルレベルの美少女も何人かいたんですけどねwww

> 小学校の高学年のときに女子の同級生が「小さいとき、男の子のチンチンがうらやましかった」と言っていました。
> 男の子には全員ついているものが自分にはついていないなんて「欠陥品」だと思うのでしょう。

まあ、子供の頃はチンチンがついているかついていないかで男女を認識してましたからね。
大人になると、女性器の方がよほど重要で高機能だとわかるんですが。

> そういえば女性同性愛者の男役は男性器に対してものすごいコンプレックスと憧れを抱いていると聞いたことがあります。
> 『白薔薇園』の少年ヌード、そういう需要もあったのかな。

その話はオイラも聞いたことがありますが、このネタは『まゆ伝F』に投げた方がよろしいかと。
「あの少年に清岡先生が自分を投影していた」ってえのは、面白い考察になりますよ、きっと!

> 女湯で、チンチンのついていない下等生物(=女)たちの間を、
> 自慢のチンチンを見せびらかしながら歩いていた少年時代の私。
> 自覚があれば快感だったでしょうね。

自覚があったら放り出されてますよ♪(笑

> 母は私の髪の毛を洗うために、私をあお向けにして寝かせて頭の下に洗面器を置いて洗ってくれました。

そういえばオイラ、親に頭を洗ってもらった記憶って無いなあ。
小学校にあがったときには自分で洗ってた気がする・・・・・・・

> 自慢のワレメを堂々とさらしている清岡ファミリーの天使たちはどんな気持ちなんでしょうね。

それぞれみな、微妙に違ってたんでしょうけどね♪
本人を除けば神のみぞ知る領域でしょう。

ひとつ言えるのは、男女問わず、自分のことを認められたいと願うのはごく当たり前のことですが、
最初はまず、自分の「身体」を認められたいと思うところから始まるようです。

これは人間の、というより生物レベルでもっとも基本的な欲求じゃないかと思うのですが、
男子においては、それは獲物を狩り出す能力につながる肉体の強さであるし、
女子においては身体の美しさでしょう。

それはもともとは、子供を産み育てるための機能をアピールすることだったのだろうと思うのだけど、
なんにせよ幼い子供は、よりストレートに自分の身体を見てもらいたい(認めてもらいたい)と
本能的に感じるもののようです。

それがじょじょに社会性を身につけていく中で、むやみに見せてはいけないというタブーを仕込まれ、
羞恥心とか警戒心を身につけていくわけですが、その心理の狭間の中で、
もともと持っていた「見られたい(認められたい)」という気持ちをうまく引き出すことが出来て、
なおかつ喜びに変えることができた者のみが、優れた少女写真家として名を残すことができるのでしょう。

清岡エンジェルズ(・・・・・って野球チームかい/笑)は、全員とはいえませんが、
おおむね撮影されてうれしかったと思いますよ♪


・・・・・・・それでは、
2009/06/09(Tue) 01:23:29 [ No.845 ]
◇ Re: 女湯の思い出 投稿者:有仁  引用する 
>小6のときまで、ひとつ年上の、後に授乳シーンを見ることになる従姉妹と一緒に風呂に入ってましたw
>相手の子はこのときすでに中学生になってたんだよなあ・・・・・・・よく一緒に入ってくれたもんだ!(笑
>ちなみになかなかの美少女でした♪

五月なみちゃんのビデオに小学生の男の子(親戚の子という設定)と一緒に露天風呂に入るのがありますね。年下の子をかわいがる優しいお姉さん、という演出なのでしょう。残念ながら私にはそういう存在はいませんでした。いたら絶対憧れていただろうなあ。

「蒙古斑」というのはご存知だと思います。赤ちゃんのお尻に広く青いあざのような色素沈着があるけれど成長に伴って消えていくというものです。
未熟者を「尻の青い奴」などと言うのはこれを指しています。
通常は5歳ぐらいで消えるそうですが、私はかなり遅くまで残りました。文字通り、「未熟」「幼稚」の象徴ですから「尻の青い」自分が恥ずかしかったです。風呂で会う同年代の子どもたちから馬鹿にされるのではないかと心配していました。年上の子どもから「ガキ」扱いされ実際に笑いものにされたことがあります。

それに私は子どものころ、出べそだったのでこれも恥ずかしかったです。子どもにとって「出べそ」なんていうと笑いものの代表ですものね。風呂では隠していましたがそうそういつも隠せるわけではなく、他の子どもに見られて「うわあ〜、こいつ出べそ!」とはやしたてられて。これも赤ちゃんの時は出べそでも成長に伴ってへこんでくる子がほとんどなわけで、出べそは「未熟」「幼稚」の象徴なんですね。ネット上に「育児日記」を公開している人がいますが、子どもが出べそという悩みはよく出てきます。
妹のかっこよくへこんだおへそがうらやましかったです。同じ親から生まれてこんなに違うのかとも思いました。女の子で出べそだったら悲惨だけど。
今ではレースクイーンなどで堂々と出べそを見せている女の子がいて時代が変ったのだなあ、と思っています。
2009/06/09(Tue) 11:10:19 [ No.846 ]
◇ Re: 女湯の思い出 投稿者:月蛇ん!  引用する 
> 五月なみちゃんのビデオに小学生の男の子(親戚の子という設定)と一緒に露天風呂に入るのがありますね。

いやあ、オイラそのビデオ見たことないです。
つか、ビデオは値段が高かったこともあって、ほとんどスルーしてましたw
なので『まゆ伝』でのカキコを読んで「へええっ」と思った次第です。

> 「蒙古斑」というのはご存知だと思います。

あんなものは単なる個人差で本人に責任はないんですけど、一部の子供は容赦がないですからね。
お気持ち察します。

> それに私は子どものころ、出べそだったのでこれも恥ずかしかったです。

昔は「出べそ」は蔑称として使われてましたから、さぞつらかったと思います。
オイラ、今まで「出べそ」は、医者の「へその緒」の切り方がヘタだからなるんだろうと思ってましたが、
それはまったくの間違いで、正確には「臍ヘルニア」って呼ぶんですね。

> 今ではレースクイーンなどで堂々と出べそを見せている女の子がいて時代が変ったのだなあ、と思っています。

蔑称として使われなくなったことで、ちゃんと個性として認められるようになったわけですね。
そのうち「出べそ萌え」なんて言葉ができるかも♪
2009/06/10(Wed) 21:49:22 [ No.848 ]
◇ Re: 女湯の思い出 投稿者:月蛇ん!  引用する 
> 女性にとって大きいチンチンは強い男性の象徴なので自分の息子がいくら小学生とはいえ、
> 男性としての資格に欠けるというのは心配だったのでしょう。

母親というものは、自分の子供をまわりと比べてはいちいち心配する生き物なので、
身体の成長に問題があるんじゃないかと心配しただけでしょう。

「大きいチンチン」→「強い男性の象徴」なんて、どこのバカの言い草だって話ですよ!
つか、そんなことを言ってる女性なんて見たことも聞いたこともないですが。

> 彼も大人になって結婚して子どももいます。機能には問題なかったようです。

当たり前です。

> 奥さんが満足しているかどうかは知りませんが。

セックスにおいて重要なのは挿入に至るまでの「前戯」ですよ。
「前戯」を丁寧に行って女性を高めておけば、短小でも女性をイカセることは十分可能です。

そもそも膣口から子宮口までの長さは平均で8cm だそうです。

その長さのなかで、膣壁やGスポット、およびボルチオ性感帯をきちんと刺激してやることができればいいわけで、
ようはペニスに8cm の長さがあれば充分役に立つってわけです。

そのうえで、ペニスの平均値は12〜13cm だそうですから、
それだけの長さがあれば、膣奥を押し上げて腹腔全体を揺さぶるのに十分な長さでしょう。

このときボルチオ性感帯を刺激していることで、腹腔への振動が大きな快感になるらしいのですが、
逆にデカすぎるペニスの場合、その分、膣に負担をかけることになるため、
よほど入念に前戯をしておかないと、女性に苦痛しか与えません。

そもそも長すぎるペニスは膣内に入りきらないため、
お互いに充足感が得られないことが多いそうです。

ちなみに少し前こんな事件がありました。
『HEAVEN』〜『クリニックでペニスを25cmに増大した男が「お願いだから元にもどして」』
         ↓
http://chiquita.blog17.fc2.com/blog-entry-4246.html

要するにデカマラがいいのは「エロマンガ」の中だけってことです。

> 女性にとってチンチンは男性の象徴なのは間違いないですが、

むしろ「バカな男性にとって」でしょう。

> 私の大きな(笑)チンチンを見て夫を思い出していたのかもしれません。

ご自分で書かれるのだから、よほど「デカいモノ」をお持ちなのでしょうが、
正直オイラは有仁さんのデリカシーを疑います。

この手の自慢話はご自分のブログを開設して、そこで書かれてみてはいかがでしょうか?


・・・・・・それでは、
2009/06/14(Sun) 01:20:12 [ No.855 ]
◇ Re: 女湯の思い出 投稿者:有仁  引用する 
まことに失礼を申してしまいました。
どうもあっちこっちに走ってしまうことがありまして…(汗)。
2009/06/15(Mon) 13:16:04 [ No.856 ]
◇ Re: 女湯の思い出 投稿者:月蛇ん!  引用する 
> まことに失礼を申してしまいました。

ご理解していただき、ありがとうございます♪
2009/06/16(Tue) 04:36:07 [ No.858 ]
◇ Re: 女湯の思い出 投稿者:有仁  引用する 
「旧まゆ伝」にも書きましたが、私が中学生になろうとしている春休み、2歳下の妹と一緒にいとこの家に行き、そのいとこ(女で妹と同い年)と3人で入浴したことがあります。
2人の少女の美しい体をたっぷり鑑賞しました。二人ともかなりの大きさになっていた乳房に目が釘付けでした。それと二本のスリットが目の前を行き交いました。それからの人生、あんな美しいものを見たことがありません。
で、思ったのですが、12歳の少年にとって、乳房に憧れるのは当然として、どうしてスリットにあんなに執着するのでしょう。大人になれば、スリットはその奥にある生命を生み出し育む神秘の宮殿への入り口ですから崇拝の対象ですが、女の子にとっては「どうして男の子ってオシッコの出てくるこんな汚い所に憧れるのかしら?」という感じではないのでしょうか。

そういえば小学生の時に、マセた女の子二人組みが男子に頼んで(確かお金を払って、でした)チンチンを見せてもらうという事件があったなあ。で、お返しに自分たちのスリットも見せてあげたと。どういうつもりだったのでしょうか。
その際、自分たちの乳房を見せてあげるという発想にはならないのでしょうか。そのころはまだ乳房は「見世物」ではなかったとか。
2009/07/23(Thu) 11:02:51 [ No.879 ]
◇ Re: 女湯の思い出 投稿者:月蛇ん!  引用する 
普通に好奇心でしょう。

子供にとっちゃあ、男女の性差は「おちんちん」の有る無しで捉えているわけで、
男の子からすれば「おちんちんがなかったら、あそこはどうなってるんだ???」だし、
女の子サイドは「おちんちんがついてるって、どんな感じなの???」ってな感じでしょう。

> その際、自分たちの乳房を見せてあげるという発想にはならないのでしょうか。
> そのころはまだ乳房は「見世物」ではなかったとか。

まだ「乳房」という意識が持てるほど発育してなかっただけでは???

つか、頼むからこんなことをいちいち「疑問形」にして振らないでください!
マジで疲れます。
2009/07/25(Sat) 00:57:44 [ No.881 ]

投稿者 No. 削除キー

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